ジョジョ読者のブログ

ジョジョの奇妙な冒険の感想、批評、考察を書いています。

「作品」は誰のものか?

ジョジョをはじめとする様々なマンガ、その他映像作品、音楽、さまざまに対して思う疑問。
「作品」は誰のものか?

著作権や商品化権のことではない。

私自身の感覚的なところを述べると、
「読者」である自分の立場からは、作者:読者=6:4、7:3、8:2。
自分が「作者」の立場に立ったならば、作者:読者=9:1くらいに感じるかもしれない。

好きなモノであればあるほど、作者と読者の境界線を越える(=50%を超える)ことは決して有り得ないものの、
元の作品を自らの中に取り入れ、血肉としたい。

作品世界を自分の中に取り込んで、自らのモノとして再利用したいというのが、
私の思うところ、読者(受け手)としての最大の贅沢である。


  ***


かつて、岸部露伴が「読者に読んでもらうため、マンガを描いている」と述べたことがあった。
4部執筆当時の、荒木先生の自己宣言であることは間違いなく、おそらく今でも、根本の考えは変わっていないのでは と思う。

「お金や名誉のためではない、ただ読者に読んでもらうために、そのためにマンガ家はマンガを描いている」。

高校生当時 この場面をはじめて読んだときは、ことばの意味がよく分からず、
「同義反復のような当たり前のことを言って、何を考えているのだ?」と思った。

私の考えるところ、このセリフの真意は「作品は、読者と作者のコミュニケーション」ということである。

2人以上の人間が居て、相互のやりとりを行うことで初めて、マンガを描く/読むという行為が成立する。
社会の中でしか存在し得ない、まさに社会的行為なのだろう。

けだし、人間は社会的存在であり、
いつの時代、どんな環境であっても、人間が人間であるためには、社会(=人間関係、他人との関係)の中で生きてきたに違いない。
友人の親戚の方で「山奥に一人で棲み、サルやシカと一緒に温泉に入る暮らし」をしている方が居たというが、
ある種の超人、仙人の域に達するほどでなければ、人はやはり、人々の中で暮らしていくものである。

作者と読者のやりとりだけでなく、物事は、上司と部下、家族の間柄、友達付き合い、何でも同じことだと思う。


ーー話が変わるが、私がインターネットを始めて、掲示板の2chにはじめて書き込んだのは、
宇多田ヒカルのストーカーになりかけていたU4さん」を諌める書き込みで、U4さんを心配する余り、U4ヲタとして苦言・注意を書き込んだものだった。
当時の2chでは、プロ野球板に「宇宙の野球」というHNの人が居て、たしかホークスファンだった。野球chで現在活躍中の「大阪鷹」さんと宇宙の野球さんは、果たして話が合うのだろうか。
もしかすると、宇宙の野球=大阪鷹、同一人物である可能性も捨てきれず、疑念は深まるばかりである。

何の話かというと、老婆心からの苦言ですが。
2chでも他のSNSでも同じだと思うが、インターネットで見かける「素人の意見」「ユーザーの意見」みたいなものは、
匿名性が高いためか、何でもかんでも好きな事を言って、「画面の向こう側に人が居る」ことを果たして考えているのだろうか? と首をひねることが多々ある。

今後 いろんな種類のSNSが開発されたり、パソコンとは異なるデバイスが現れたり、コミュニケーションの手段はいろいろと変わって、変化・進化していくかもしれない。
けれども、デバイス(メディア)を通じてやりとりする情報、やりとりする主体が人間同士であることは、太古の昔から未来まで、たぶん同じである。

ジョジョ3部コミックスのはしがきに、「人類最古の職業は、語り部ではないか」というエッセイがあった。
語り部、売春婦、そして野次馬のから騒ぎというものは、とても古く大昔から存在していたのかもしれない。
私(sougan1976)、U4、宇宙の野球(=大阪鷹?)を結び付けるミッシングリンクは、「人間は、くだらないものが好きだ」というその一点なのだろう。

カメ飼育 5年間の履歴と、随想

 

今年で5年くらいになるのであるが、自宅の中庭でカメを飼っている。
最初は近所を歩いていたイシガメを捕まえたのがきっかけで、
その後 ホームセンターでアカミミガメを2匹飼って、これを長く育てることになった。

「日本イシガメのよもぎさん」のような気の利いたウィット、カメの写真などは何も無く、私がカメを飼ってきた履歴、随想を記します。


  ***


・今朝 カメの水槽を掃除して、あれこれの整美をしていて気づいたのだが、カメの世話は「土いじり」や「盆栽」と似ている。
土いじりや盆栽、限られた空間に宇宙を見出す楽しみであり、自然と人の調和、エコロジーの体現である。

ジョジョ57巻 コミックスのはしがきで、荒木先生が庭の土いじりにはまっていて、ネコのウンコが嫌いだ というくだりがある。
クリスチャン・ディオールも土いじりにはまっていて、デザインの仕事が一段落した後、庭の手入れをしないではいられなかったらしい。


・カメというのは、ものを言わない。もしかすると人間には聴こえない超音波的な信号で会話しているかもしれないが、人間には「沈黙の生物」である。
カメをつまみあげたり、驚かせたときだけ「フーッ」と鼻息を鳴らすが、それ以外に物音を立てることは無い。静かな生物である。

・カメはとても怖がりで、専守防衛、甲羅に閉じこもって身を守ることで進化した生物である。
 カタツムリと似ていて、両方を飼育したことのある私は、ひきこもり的な精神性の生物なのであろう。

・カメは変温動物で、ヘモグロビンが無いため、血は赤くない。しかし、「爬虫類が冷血で感情が無い」みたいなイメージは只の偏見、誤りである。
 冬場 カメを、40度くらいのお湯が入ったバケツに入れると、まったり、とても気持ち良さそうにジッとしている。
 爬虫類も哺乳類も、基本 20~28度くらいの、温かな気温が大好きである。

 

・ペット業者が、コイのエサみたいな乾燥飼料を、カメのエサと称して販売している。それはそれで良いかもしれないが、当方では与えていない。
・煮干しとオキアミ(または干しエビ)、ちんげん菜。1週間に1~2回 サーモンなどの切り身を与えている。

・赤ちゃんカメのとき、ペットショップで買った「ミルワーム」という蛆虫みたいな幼虫を与えていたが、(私自身が)気持ち悪いので止めにした。
・人間が食べて美味いと思うものは、だいたい、カメも美味いと思って食べている気がする。
・カメの5歳が、人間の何歳に相当するか分からないが、サーモンやちんげん菜など、甘みのある食べ物を好んで食べている。


・自宅の中庭にトロ舟を置き、これに水を張り、カメは水の中で暮らしている。日向ぼっこができるよう、スロープを工夫すると良い。
・冬場 熱帯魚用のヒーターを4本くらい設置して、水を20度くらいまで温めている。水は比熱容量が高いので、外気より温かく、快適である。


ーー残念ながら、上記の飼育情報は、現時点でほとんど意味が無い。

なぜならば、アカミミガメ(ミシシッピアカミミガメミドリガメ)はアメリカ産の外来種で日本の自然を乱すとして、飼育禁止の方向で法制化が進んでいるためである。
アカミミガメもイシガメも、生態は変わらない気がするが、とにかく、これから先の日本で、アカミミガメを飼うことは少なくなっていくと思う。

・数年前 自動車で田んぼの脇を走っていると、大きな石コロみたいなものが道路を塞いでおり、違和感を感じた。
よく見ると巨大なアカミミガメで、体長30cm以上の大物、道路わきの田んぼが住宅地に開発途中で、住処を追われ彷徨っていたらしい。

クルマに曳かれて死にかねなかったので、自分の自動車に乗せ、近所の適当な川に連れていってカメを逃がした。
その後 どこで生き延びているのか、見かけたことは無い。

出川哲郎の「VSリアルガチ危険生物」というTV番組で、多摩川外来生物を捕獲して、自然環境の保護、(人間に翻弄される)外来種の哀れさを描くコーナーがある。
巨大魚を狙って網をしかけて、アカミミガメが引っかかることがしばしばある。ペットとして飼われた外来種が捨てられ、河川で生き延びているのである。

漁をてがける動物学者の真摯さに敬意を感じるが、鈴木奈々のリアクションが嘘くさいのに呆れている。


福沢諭吉の「学問のすすめ」 末尾に、こんな一節がある。

「人類多しといえども、鬼にもあらず蛇にもあらず、ことさらにわれを害せんとする悪敵はなきものなり。
 恐れはばかるところなく、心事を丸出しにしてさっさと応接すべし。
 ゆえに交わりを広くするの要は、この心事をなるたけ沢山にして、多芸多能一色に偏せず、さまざまの方向によりて人に接するにあり。

(中略)

 世界の土地は広く、人間の交際は繁多にして、三、五尾の鮒が井中に日月を消するとは少しく趣を異にするものなり。人にして人を毛嫌いするなかれ。」


この一節を読むと、引きこもり的気質から脱して「よーし、やるぞ!」と元気を誘発される。

自宅の中庭で飼っているカメは「井中の鮒」であるが、しかしよくよく考えてみると、中庭のカメが何を思って生きているのか、人間には分からない。
カメにはカメの、カメなりの幸せがあるのではないか とそんなことを思う。


大島弓子綿の国星」というマンガがある。
浪人生の青年が、(女の子の姿で描かれる)飼いネコのありように心洗われ、「ぼくはネコの視線で世界を見ていたのだ」と目を開くくだりがある。

けだし、ペットというものは何か具体的に生活の役に立つものではなく、あまり可愛くもなく、世話に手間のかかることが多い。
しかしながら、ペットの価値は実用性・経済性・合理性にあるのではなく、
社会生活から溢れだした非合理性、平々凡々と日向ぼっこを終日続けているような、何も考えず、何も進歩のない(ように見える)その暮らしぶりに、
何かを思い出し、拾い出しているのだと思う。

河崎実のウルトラマン評論本と、アカテン教師梨本小鉄 教育教材の「第3の道」

きっかけがあって、年末くらいから本腰を入れて、教育関係の勉強をしています。

教育関係の本とは別に、ジョジョウルトラマンプロ野球なんかの趣味に触れたりもするわけですが、
ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか?」という本を読んだ読書メモ、連想を記します。


 ***


ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか?」 河崎実 著。

河崎氏は映画監督で、円谷プロ的特撮に、ロリコン、プロレスなど作者の趣味を加味したB級コメディ作品をたくさん撮っているそうです。

下らない、バカバカしいお笑い的な本だろうと思って読み始めたのですが、読書前の予想は半分当たって、半分違っていた というところです。

全8章から成り立っていますが、表題 ウルトラマンのシュワッチの謎そのものは、3章までで解明されます。
その後 4章~6章までが「お笑いとしてのウルトラシリーズ」を、放送当時のTV・マンガ事情とあわせて解説する内容で、(1976年生まれの私には)知らない事が多く、新鮮でした。
7章は、いわゆるウルトラシリーズウルトラマンシリーズ(新マン以降のシリーズ)の違いを概説するパートで、はっきりオタク向けですが、個人的には納得できる内容でした。

ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか」の解は、端的には、シュワッチの声を演じた俳優 中曽根雅夫氏の熱演に尽きます。
また、河崎氏自身の映画観・人生観と相まって「お笑いとしてのウルトラマン」の語り口には説得力があり、
こういう下らない、しかし人生の真実を一面突いている「考察」(=映像作品であり、その批評)は、なかなか世の中に残っていかないのだな…と、改めて感じ入ったのでした。


以下、同書の読書メモ、連想の箇条書きです。

・シュワッチ=SHWACH 「SHWAAAA…」から変化して、シュワッチに到った。
ウルトラマンの飯島監督によると、「GWAAAAOR」「ZHWAAAA」などアメリカンコミックの擬音表現から、宇宙的な新ヒーローにふさわしい掛け声を模索したらしい。

・アメリカンコミックの擬音表現をとりいれたマンガで、私が浮かぶのは鳥山明ドクタースランプ、そしてジョジョである。
ジョジョの擬音表現は、直接にはホラー映画の効果音、ヘビメタロックのギュンギュン来る感じをマンガに取り入れたものであるが、
ポップでアメリカンなテイストが取り入れられている点が、三者に共通していると思う。

・中曽根雅夫氏の友人である田中信夫氏、ウルトラマンの脚本家である金城哲夫氏、そして円谷プロの円谷 皐社長は、玉川学園の卒業生である。
玉川学園では、学校全体で演劇に取り組む文化があり、田中氏らは芝居の魅力にハマっていた。

田中信夫氏は、かつてのジョジョのOVAでディオの役をやった声優さんである。
ウルトラマンジョジョの縁が何となく繋がっているようで、少し嬉しい。

・本書の7章にて、「初代ウルトラマン=圧倒的なカリスマ、神、キリストであり、ティガ=人間が修行して神(仏)になる、ブッダ」になぞらえる一文がある。
・年末年始 ウルトラマンアントラーメフィラス星人の話、新マン 悪魔と天使の間に…、エース 最終回を観ていて、同じ感想を思っていた。
 ウルトラマンが特別に宗教的な背景・示唆を示している訳ではないと思うが、そのときどきの作家さんのバックボーンがあり、滲み出るものの違いがあったのだと思う。


堺正章坂上忍のハッチャキダンスは、ジャケットを見ただけだが、いかにもウザい。
こういう感じのウザいテレビ番組と、お茶の水女子大学の系譜が監修・推薦する「おかあさんといっしょ」「しまじろう」のいずれか、2つしか存在しないならば問題だ。
幼児教材に「第3の道」は無いのだろうか。

 
・この本を読んでいて、(人名の勘違いがきっかけだが、)春日井恵一 著 「アカテン教師梨本小鉄」というマンガを思い出した。

・はじめ、ゴージャスアイリンなんかも掲載していたジャンプ増刊号に、梨本小鉄の読みきりが載っていた。
運動音痴なメガネ、野球部のマネジャーをやっていた(?)男子学生がいて、「僕だって、本当は野球チームに入って活躍したいんですよ!」みたいなことを言って泣く。
その涙と絶叫の表情、小鉄が反省してひとりつぶやくシーンをよく覚えている。

・梨本小鉄は、その後 週刊少年ジャンプに連載開始となり、最終回が、修学旅行に行く話だったと思う。
生徒たちが見る夢の中で、小鉄坂本龍馬となり「日本の未来は明るいぜよ!」と大笑していた、その一コマをよく覚えている。

・「天に向かってつばを吐け!」と小鉄がつばを吐き、天からつばがついに落ちてこない。小鉄は天に赦されている というシーンがあった。

どういう意味で作者(=小鉄)は天につばを吐いたんだろうかと、今になって考える。

 


ーー梨本小鉄あたりの思い出をふり返ると、ほかに、当時の増刊号に、カマキリが巨大化して暴れるのと戦う話。
ゴージャスアイリンで大女が登場して、ネコを鉢植えに植えたり、男の顔を舌で舐めまわす気持ち悪さに、嫌悪感を感じた記憶がある。

梨本小鉄に限らず、男塾、北斗の拳、聖闘士聖矢、キン肉マンなんかの作品でも、心にひっかかるシーンというのがいくつかある。

聖闘士聖矢でシャカの術にかかった聖矢が、(仏教的な観点で)己の犯してきた罪をふり返る、一枚の扉絵。
キャプテン翼 フランス代表のキャプテンがドリブルしながら、ノートを破られるなどのイジメを受けるも、サッカーチームで友だちで得たことをふり返るシーン。

ほかにも、これらのマンガを手元に置いて読み返せば、「こんなことがあった」「このシーンを読んでこんなことを考えた」「これを読んでた当時、身近でこんなことがあった」
と思い返すことが沢山あるのだろう。

(少年ジャンプと離れてしまうが、)小学6年生くらいのとき、
学年誌か何かで「沢田ユキオが描いた、虹色に変化するビックリマンの7皇子」みたいなイラストグラビアを眺めていた。
そのそばで母親が誰かと「そろそろ、子ども達をどこの中学にやるか、受験のことを考えないといけないわね」みたいなことを話していて、
ビックリマンのグラビアを観て過ごしてるような子供時代は間もなく終わってしまうのか、と急に愕然としたことを思い出す。


何だかんだ言って、それから30年くらいが経ち、40歳を過ぎた今になって私はウルトラマンのDVDをじっくり観はじめたり、
沢田ユキオは当時から変わらず30年間、コロコロコミックに「スーパーマリオくん」を描き続け、ビックリマンジョジョも、なんだかんだで命脈を保ち今に到る。

おかあさんといっしょ」と「ハッチャキダンス」に続く「第3の道」、
私の場合は梨本小鉄でありジョジョであり、あまり上品でもなく元気一辺倒でもない、バロックな世界観をもって歩んできたのだと思う。

ジョジョの野球チームを、2017年のプロ野球選手に例える

2013年の秋 「理想のベストナイン」という記事で、ジョジョシリーズの主人公たちで野球チームを組んでみたことがあった。
(他愛の無いヒマつぶし。プロ野球がオフシーズンになると、こういう空想遊びで野球的な楽しみを充たしているようです)


1番センター ジョルノ .300 10HR

2番セカンド ジョニィ .272 5HR

3番サード 承太郎 .320 40HR

4番キャッチャー 仗助 .280 28HR

5番ファースト ジョナサン .260 42HR

6番レフト ポルナレフ .275 12HR

7番ショート シーザー .250 4HR

8番ライト ジョリーン .242 2HR

9番DH エンポリオ .234 0HR

 

投手 ジャイロ

投手 ジョセフ

 

控え イギー、早人、ルーシー、億泰

 

そして今、2017年シーズンのプロ野球選手(実在の選手)を、上記の野球チームに当てはめてみることを考えました。

だからどうだと言うことは全く無いのですが、野球チームの実在像の、リアリティを高める気がしないでもありません。

また、4番キャッチャーに当てはまる野球選手が現役で見当たらないため、一人だけ、OB選手を採用しています。ご容赦ください。

 

 

1番センター ジョルノ = 桑原(横浜)

2番セカンド ジョニィ = 銀次(楽天

3番サード 承太郎 = 中村(西武)

4番キャッチャー 仗助 = 城島(漁師から現役復帰)

5番ファースト ジョナサン = マレーロ(オリックス

6番レフト ポルナレフ = 吉田正尚オリックス

7番ショート シーザー = 大和(阪神→横浜)

8番ライト ジョリーン = 松本剛日本ハム


先発投手 ジャイロ = 則本(楽天

先発投手 ジョセフ = 山岡(オリックス

 抑え投手 定助 = 糸井(日本ハム時代の二刀流)

 

  以 上

ウルトラジャンプ2018年1月号を読んだ、大まかな感想

ウルトラジャンプ 2018年1月号が発売され、買って読んだ。

東方家の敷地で、最後の戦いのエピソードが始まった感じで、ロカカカ収穫までの時間表示が、いかにもアラキマンガっぽい、理詰めの盛り上げ方な感じがする。(植物鑑定人のリフトで、ポールの番号順にストーリーが進むのも、同じ感じだった)

今月号のエピソードは、SBRでウェカピポとマジェントが戦い始めたとき、ジョニィが謎の男に銃撃されたときくらいに似ている感じがして、だとすればあと2~3年、2020年になるくらいまで、ジョジョリオンの連載が続くんだろうか?

もうちょっとコンパクトにまとまるかもしれないけど、敵としての岩人間は、プアートムともう一人、吉良家と因縁のあるキャラが最後に出て、そいつと東方家と定助が三つ巴で最後に争うんじゃないか? と予想をしている。 でも、そんな展開にたどり着くまで、あと1年近くかかるかもしれない。

 

ウルトラジャンプと一緒に発売された、ジョジョリオン17巻 巻頭のはしがき(作者のエッセイ)。ホラー映画と人間文化の発達(?)を絡めた分かるようで分かりづらい内容で、荒木先生自身の「ホラー映画を観続けてマンガを描いてきたこと、ホラー映画を座右の銘としてきた人生」の理論武装なんだろうと思う。

2018年の夏 東京でジョジョの原画展があらたに開催されるそうで、新作原画が描き下ろされるらしい。ジョジョリオンが完結するくらいに、この原画展の描き下ろしを含めたイラストブックが発売される気がする。

 

--しかしながら、ジョジョの1~4部くらいをジャンプで読んでいたときに、30年後 ジョジョがここまで生き残って、原画展をやったりイラストブックが続々発売される事態になっているとは想像もつかなかった。20~30年後の未来は「読めない」わけで、よくも悪くも、未来は拡がりのあるものだと感じる。

怪獣図解入門とドラえもん、ジョジョ 「データベース」の子ども文化

切通理作氏の著書で「怪獣少年の復讐」という本があり、ときどき読み返している。
特撮関係者へのインタビューを一冊の本にまとめたもので、第2期ウルトラシリーズ、1970年代の特撮・子ども文化に興味ある方には、なかなか面白い本である。

同書の4章では、小学館学年誌(小学2年生などのシリーズ)を取材し、当時の編集者にインタビューを行うくだりがある。
当時の大人たちが怪獣やマンガを有害とみなし、子どもたちの成長を心配する様子が掘り起こされ、なかなか面白い。
今で言うと、任天堂の新作ゲームやヒカキンのyoutubeうごくメモ帳で遊ぶとバカになるのか?と心配するようなもので、親と子、学校と子どもの世相は変わらないものだ と思う。

 

私のウルトラシリーズへの愛着は、「コロタン入門百科シリーズ18 怪獣図解入門」で始まっている。
怪獣図解入門は、講談社小学館の少年誌からスピンアウトするかたちで生み出されたそうで、同書の著者 大伴昌司氏によるはしがきが懐かしい。

大伴氏のはしがきでは、(うろ覚えによると)
「怪獣は実際に存在するものではありません。しかし、皆さんに想像する楽しみに触れてもらいたいと思い、怪獣のしくみを考えた図解を載せています。想像する楽しみを味わってください」
という趣旨のことばが述べられていた。

切通氏の著書によると、
少年誌が育んだ「怪獣図解」の手法、キャラクターをデータベースにまとめ「リアリティ」と「キャラ」を立たせる創作手法は、
その後の子ども文化ーー小学館と藤子先生による「ドラえもん」の秘密道具の体系化、リカちゃん人形のキャラクターづくりetcーーに活かされていったそうである。


そこで、話はジョジョである。
インターネットのいろんな感想を読んでいると、「ジョジョのスタンドはドラえもんのパクリ」、「ドラえもんの秘密道具に、スタンドのアイデアの源流が隠されている」みたいな意見を読むことがある。
私は荒木先生でも集英社の編集者でもないので、創作の舞台裏は分からないが、たぶん、荒木先生が直接にドラえもんからスタンドのアイデアを拝借したことは殆ど無いと思う。

荒木先生が影響を受けたとするなら、藤子マンガそのものよりも、小学館講談社の子ども雑誌、1960~70年代の子ども文化全体に影響を受けたと考えるほうが自然である。
ジョジョのスタンド、スタンド使いと能力を網羅したり、スタンド使いを仮想対戦させる遊びがあるが、個人的には、ウルトラマン仮面ライダーなど、昭和の特撮のキャラクターを網羅する遊びに似たところを感じる。

また、荒木先生はどちらかと言えば、藤子F不二雄よりも、藤子不二雄Aに近しい資質を感じる。
億泰がイタリア料理を食べて「ンマーーイ」と叫ぶのはA先生の影響だし、A先生のブラックでちょっと気持ち悪い作風は、荒木先生に通じるものを感じる。
「魔太郎が来る!!」というA先生のマンガがあり、まだ読めていないのが残念だが、わりと直系で、魔少年ビーティーやディオの造形に繋がっているのではないか と思う。

「絵本」としてのウルトラマンタロウ

ジョジョに殆ど関係のない話題ですみません。円谷特撮、ウルトラマンタロウを視聴した感想の記事です)


ウルトラマンタロウ DVDボックスを購入し、1年近くかけて全53話を視聴した。

ウルトラマンシリーズを視聴するのは「老後の楽しみ」で、各シリーズのDVDをあちこちバラバラに観てはいたが、
第1話から最終話まで、全話を通して視聴したのはタロウが初めてだった。

ウルトラマンタロウは荒唐無稽なおとぎ話で、アラビアンナイトや桃太郎のような、子供に分かりやすい、明るく楽しい「現代のおとぎ話」を目指して製作されたそうである。
そして、その試みは実際に成功している。
私の皮膚感覚では、今なお ウルトラマンシリーズの1番・2番人気は初代マンとセブン、3位がタロウ、4位が現行の最新作という按配で、幼児の支持は分厚い感じがする。
タロウが製作された1973年は、私(1976年生まれ)が生まれ育った時代にほぼ近く、幼い頃の原風景を観る面白さもあり、全話 概ね興味深く視聴することができた。

タロウの第1話 東光太郎がアストロモンスに飛び乗って振り落され、アイタタタで済まされるシーン。
シンドバッドが怪鳥の足にしがみつき空を飛ぶ、冒険物語の明朗さに付いていけるかどうかで、タロウを観れるかどうかの分かれ道になっている。

(荒木先生曰く、)物語にはリアリティーとファンタジーの境界線がある。
クリントイーストウッドの映画は綿密なリアリティ描写の中にファンタジーを宿らせるが、タロウは違う。
ウルトラマンタロウは「絵本」であり、特撮と人情ドラマと親子の情愛を合体させた「動く絵本」がウルトラマンタロウなのである。

絵本、ファンタジーとしてのリアリティを追求し、子どもにとっての真実、物語の筋道を描き出そうとしたのがウルトラマンタロウである。

タロウの1話と最終話は対になっていて、ウルトラの母からバッジを譲り受けた東光太郎が、母にバッジを返し、再び旅立つところで物語が終わる。
(昔から、怪獣図鑑を読んでいて)なぜタロウ最終回の敵はサメクジラなのか、テキトウで間に合わせのような怪獣が最後の敵なのはなぜか? 疑問に思っていた。
しかし、1話から最終話まで通して視聴して、白鳥家の船に乗ってやってきた光太郎と白鳥健一のドラマを観てはじめて納得を得、最終回のドラマにいたく感動した次第である。

1年間の連続ドラマのあいだに光太郎とタロウは成長し、健一君は声変わりし、そしてTVを観ている視聴者も(一年分)大きくなった。
そしてウルトラの母を演じるペギー葉山が優しく諭したとおり、光太郎は最後に、「生きる歓び」を自分で見つけ、掴み出したのである。
光太郎が健一の模範となり、タロウと別れ、タロウが地球から宇宙へ再び飛び出していくシーン。
特撮シーンは第1話のものの再使用なのだが、脚本の妙で、「オギャー」と正面に飛び出してくるタロウがとても晴れ晴れしいラストショットであった。

うろ覚えの記憶なのだが、ペギー葉山さんという歌手は、たしかひらけ!ポンキッキなどにも出演していて、子供向けの歌番組で歌唱を披露していたと思う。
(最近に亡くなられたとき、ドレミの歌を日本語向けに翻訳・歌手として歌っていたと聞いて、その功績を今更ながら知った)

タロウの全てが優れているという訳ではなく、ポリバケツで水をぶっかける特撮シーンには興ざめしたし、
全53話のうち 40%くらいはあまり面白くない話で、オカリヤンの話を観ているときに途中で眠ってしまい、巻き戻す気力が湧かなかったのも事実である。
しかし、概ね 全体としては面白く、一冊の絵本としてTVドラマシリーズを描き切ったまとまりの良さ、「どこに筋を通すか」で一本筋を通しきった漢気に感服している次第である。


ーー最後に、年寄りの繰り言めくが、昭和の頃の特撮ドラマは「大人が子どもに向けて作っている」感があり、安心感をもって視聴することができる。
そうでないドラマが悪い、一律にダメという訳ではないのだが、
子供向けの作品として、「大人の確かな視座」が無いものはどうにも違和感があり、個人的には遠ざけてしまう。

「誰が、誰に向けて何を語るか」というのは物語を成り立たせる根本的要素で、まさにセンテンスの骨格である。
翻って、ジョジョの物語は誰から誰に向けて何を語る物語なのか?
私自身の人生や仕事は誰に向かって、何を語る物語なのか? --そのように、連想が拡がる膨らみを、ウルトラマンタロウは持っていると思う。